堀田商店の歴史

青果の堀田は昭和23年に創業しました

初代 堀田利徳と妻の佳(よし)が高知の台所・大橋通りで野菜の商いを興したのは、戦後の復興が始まって間もない昭和23(1948)年でした。利徳は出征前に奉公していた八百屋で身に付けた経験を役立てます。大阪の市場へ目を向け、新しい種類の野菜を目利きして仕入れ、一流品を高知の板場さんに届けました。創業以来75年余り。時代も流通の仕組みも大きく変わっています。移転後はご進物を中心に、生産者が丹精込めたくだものを、先様にしっかりお届けすることを堀田の身上としてまいりました。三代目の堀田昌也ほか従業員一同、創業者の教えと変わらぬ志を受け継いで、これからも日々精進に努めます。

昭和40年代~50年代

大切な贈りもの、丁寧に手厚く

高知の確かな味を全国へおすすめし、生産者と二人三脚で歩んできた実りの季節。昭和40年代からの「土佐文旦」(高知の品種)や「小夏」、「ぽんかん」、「新高梨」、昭和50年代には「小粒完熟とまと」(高知県産)など、特産くだもののブランド化に力を注ぎ続けました。また、盛夏に香り立つ芸西村の「土佐パイン」は、契約栽培による堀田だけの貴重な実りです。

昭和40年代~50年代
昭和40年代~50年代

大切な贈りもの、丁寧に手厚く

ひとくち食べると、もうひとくち、もう一個。青果の堀田は、そんな美味しさを選び抜いて、こころを込めた包装でお届けいたします。まだ宅配便もなかった時代から、堀田では鉄道や郵便小包で県外へ発送をしてまいりました。生鮮品を遠くへお届けするため、別便の往復はがきを送り、万一の事故があっても店が保証することで、安心してご依頼いただけるよう心がけております。。

よさこい祭りと堀田

昭和47年

高知から全国へ、世界へとひろがった「よさこい祭り」。堀田のチーム誕生は昭和47年、利徳夫妻の子どもたちが育ちざかりの頃でした。ポピュラー音楽を取り入れたのも先駆けです。二代目の昌一郎は日本青年会議所の活動で、飛び入り参加ができる「市民憲章よさこい踊り子隊」の創設に深く関わり、堀田が振り付けと曲を担当させていただきました。

昭和47年
平成◯◯年

平成3年

永国寺町での堀田マインド

平成3年に、堀田は大橋通りから永国寺町の現店舗へ新築移転しました。高知市の中心部にあり、落ち着いた文教エリアです。かご盛りのラッピングに特注の土佐和紙を使用するなど創意を凝らした平成の時代。くだもののベストな味と時季に妥協をせず、ご進物を中心に扱う堀田のマインドを確立して現在にいたっております。

       

*創業時からおなじみ「青果の堀田」手書きロゴは、福原云外の揮毫です。

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